今年2025年の夏、仙台の実家に帰省した際、庭に長年いらっしゃったお稲荷さんを神社にお返ししました。長い間、心のどこかに引っかかっていたことをやっと行動に移せた体験だったので、ここに記しておきたいと思います。
幼少期からの思い出
私は仙台で生まれ、小学校1年生までを過ごしました。その後、父の転勤で千葉の流山に引っ越しましたが、仙台はずっと「祖父母の家」として私の中に存在し、父が退職して再び両親が仙台に戻ってからは、再び「実家」となっています。
その家の庭には、私が物心ついたときから祠があり、中には陶器のお稲荷さんが祀られていました。正月やお盆になると祖父母や両親と一緒に、小さなお供物を捧げて順番に手を合わせるのが恒例でした。当時の私は「そこにあるから祈る」という感覚で、お稲荷さんがどういう存在なのか深く考えたことはありませんでしたが、庭の祠は家族の風景の一部であり、子どもの頃の私には当たり前の存在でした。
お稲荷さんが庭にやってきた経緯
伝え聞いた話によると、祖父が今の家を新築したおよそ60年前、どこからか祠を購入し、庭にお稲荷さんを祀ったのが始まりだったようです。昭和の時代、庭や家の片隅に神棚や祠を置く家庭は珍しくなく、祖父なりに「家族の繁栄や安泰を願って」設けたのだろうと思います。
その祠も年月とともに老朽化し、東日本大震災の前に家を建て替えた際には撤去され、中の陶器だけが庭に置かれる状態になってしまいました。弟と私は「ちゃんとお祓いはしたの?」と両親に確認しましたが、両親は「祖父が買ってきただけで魂が入っているわけではない」との認識で、特に何もせず…。それが私の中でずっと気がかりとなり、10年以上モヤモヤした気持ちを抱えて過ごすことになりました。
返納を決意するまで
今年の6月、偶然、神道や家の神様に詳しい方とお話しする機会がありました。その方から「元いた神社にお返しした方が良い」と教えていただき、背中を押されたのです。両親は最初あまり乗り気ではありませんでしたが、「墓じまいの一環だと思えば」と理解を示してくれました。
実際に連絡を取ったのは、私の七五三や大晦日のお祓いでもお世話になってきた氏神様。これまであまり意識していませんでしたが、氏神様が稲荷神社だったことも判明し、返納の話は一気に進みました。
もし引き取っていただけなければ、仙台の竹駒神社にお願いしようとも考えていました。
竹駒神社さんのHPの御祈祷・諸祭典のところに神棚御神抜が書いてあり、万が一の時のことを考えておりました。
当日の流れ
神主さんが実家に来てくださり、式に必要な道具を持参してくださいました。私たちが準備したのは、米、塩、水、お酒、生卵、そして油揚げ。お稲荷さんらしい供物を並べると、庭の空気がいつもより凛としたものに感じられました。
式自体は10分ほどで終わる簡潔なものでしたが、神主さんの厳かな所作、唱えられる祝詞の響きに、庭に漂っていた「長年の澱(おり)」のようなものが祓われていくようでした。両親も黙って立ち会い、式が終わったあとの静けさの中で、不思議と全員の顔が晴れやかになっていたのが印象的です。費用は2万円ほどでしたが、心の負担を取り除くことを思えば高いとは感じませんでした。

今回の学びと気づき
この出来事を通じて、「祀ること」「お返しすること」の意味を改めて考えました。長く続けられない祈りを無理に形だけで残すのではなく、感謝を持ってきちんとお返しすることが、むしろ次の世代への責任でもあるのだと思います。
最近では墓じまいや神棚じまいといった言葉を耳にします。高齢化や家族構成の変化で、かつての信仰の形をそのまま維持するのは難しくなっています。けれども、「どうしよう」と悩んで放置するより、一度行動に移すことで心が軽くなることもある。今回の経験はまさにそれでした。
まとめ
長年心にあった引っかかりが解消され、実家の庭に出るたびに感じていた重さがなくなりました。今はただ、氏神様への感謝の思いが増すばかりです。
もし読者の方の中で、実家やご自宅に祠や神棚が残されていて「どうしたら良いのだろう」と迷っている方がいれば、この体験談が一つの参考になれば幸いです。

